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知識流通 より

「セレンディピティとは、当てにしていないものを偶然にうまく発見する才能、などと定義される」などと言われると、つい「たなからぼた餅」なんていう俗っぽいことわざを思い出してしまう。[松岡裕典]

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井の頭線駒場駅の踏切。なんてことないごくごく日常的な風景。普通「絵にならない」と言われる。なんで絵にならないと思われるかというと、当たり前だからだ。……なんだか当たり前のことを言ってるが、この「当たり前」が実は一番の曲者である。たとえば、 外国から来たジャーナリストの撮る東京の街並みがなんだかひどくエキゾチックに見えるのはなぜか、という問題だ。最近は彼らもなれちゃってそんな写真を見ることも少なくなってしまったけど。

[2003.05.25]

 

 

「情報環境を設計する」ということについて

たとえば山に入る。そこにはいわゆる自然しかない。ここでの自然というのは「人家やビルや看板のような人の手で作られたものがない」というぐらいの意味だ。で、それを仮に自然環境とすると、東京のような街が典型だけど人の手で作られたものばかりになるとそれは「都市環境」とか「人工環境」と呼ばれるようになる。

でも、そこには「モノ」が存在する。ところが、新聞や雑誌やテレビになると、そこにあるのは情報だけだ。もちろん、テレビの画面には人も自然も映し出されてはいるけれど、そこには限られた視覚情報と聴覚情報しかない。空気の匂いも風の音もない。そういった余分(と考えられるもの)を全部取り除かれた「限定された情報のみで作られる環境」が「情報環境」だ。

こういった情報環境はいわゆるメディアとほぼ同じ意味になる。量や質のことを考えればマスメディア環境と言ってもいいが、こういったマスメディアが作る情報環境を僕ら一般人がどうのこうのするのは難しい。関わるのも難しいしまして設計するなんて。

というわけで、僕が言っている「情報環境」というのは、マスメディアのことではなく、インターネットが作る情報環境のことだ。たとえばメールやウェブやインスタントメッセージやブログ……それらは、僕ら一般人でも使える「情報環境」だ。その情報環境を設計する・整備する・デザインすることを僕は「情報環境設計」と呼んでいるのだ。

(続く)

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